Last updated 2023-02-28

田代耕一郎

Koichiro Tashiro
アコースティックギター
棹物系民族楽器マルチ・プレイヤー

 1957年東京に生まれる。小学生の時に弟が買ってきたウクレレを横取りして弦楽器に興味を示す。中学生でギターを覚え、卓球と共に独学で練習に励む。卓球のラケットさばき(手首の動き)が、後にギターのストロークに多大な影響を与えようとは、このときは全く思いもよらなかった。高校生でフラット・マンドリンとバンジョーに手を染め、ブルーグラスという音楽を知る。

 大学入学と同時に勉強そっちのけとなり、ブルーグラスにドップリと浸かる。弁護士への道を諦め坂道を転げるようにドロップアウト。そのせいかどうか知らないが、演奏の腕はメキメキと上達し、残された道はプロを目指すしかなかった。

 1978年にCMの仕事を通じて憧れの石川鷹彦氏と出会う。これはチャンスとばかりに、普通免許も持っていないのに強引に楽器運びを買って出る。この時にスタジオ・ワークの大変さや、演奏のノウハウ、時間厳守などを学ぶ。約1年間のボーヤ生活を経て、1979年にイルカのカムバック・ライヴ・サポートとして春のツアーに参加。

 これで将来を約束されたと思いこみ有頂天になるが、現実はそれほど甘くなく、かなり不安定な生活を送ることになる。同時期に音楽ライターの大塚康一氏に出会い、音楽雑誌の原稿や譜面を書くためのアシスタント生活も経験する。この貴重な経験によって、正しい楽譜の表記や分かりやすい文章の書き方をたたき込まれる。それから数年間音楽雑誌のライターをやりつつ、ライヴ・サポート活動中心の生活を送る。その後活動の中心は、スタジオ・ワークへと移り現在に至る。

 1989年、プライベート・スタジオ「STUDIO ALCHEMY」を設立。ここでBGM制作やラジオCMなどを、ぼちぼちと手がける。

 1990年、50日間に及ぶ最初のヨーロッパ旅行を敢行。このとき触れた各国の民族音楽、楽器、ミュージシャンに大いに興味を持ち、ブズーキ、ラウド等を現地で手に入れてくる。それ以降約2年ごとにヨーロッパを中心に旅して歩き、気がつけば民族楽器を買い込む旅となってしまった。その結果、自宅は民族楽器博物館状態で、今やギターの本数の数倍をかかえる。

 1997年、ホームページを開設そして公開。民族弦楽器の写真とサウンドが試聴できるサイトとして、音楽業界はもとより一般的にも話題となる。

 ギターのみならず多彩な民族楽器を操り、独自のアコースティックな世界を目指している。現在あらゆるモノがインターネットで手に入る時代だが、現地で見て触って手に入れた民族楽器は、愛着と同時に音を出したときの説得力もあると考えている。自分の信条として、弾かない楽器は買わない主義。なので自分は蒐集家ではないと信じている。だからこのホームページで紹介している楽器は、全て演奏可能なものばかりであ~る(練習中というのもいくつかあるが....)。

文・田代耕一郎